
先生!最近、秘密結社八咫烏のことが気になって仕方ないんです。一体どんな組織なんですか?本当はどんな人たちなんですか??


ほう、八咫烏かね?それはまた、興味深いテーマに目をつけたね。八咫烏は、歴史の裏で暗躍してきたとされる謎多き存在だ。今日はその秘密に迫ってみようじゃないか!
今日は、皆さんが一度は耳にしたことがあるであろう「八咫烏(ヤタガラス)」についてお話したいと思います。「名前は聞いたことあるけど、実際はどんな組織なの?」「本当に実在したの?」「もしかして、今も活動してるの?」…そんな疑問や興味を持っている方も多いのではないでしょうか。
特に、歴史の裏側や秘密結社といった、謎めいた存在に心を惹かれる学生の皆さんは、この八咫烏という存在に、強い好奇心を抱いていることでしょう。
安心してください。今日はそんな皆さんの知的好奇心を満足させるべく、この「八咫烏」について徹底的に解説していきます。日本神話に登場する三本足のカラスの姿から、陰陽道との深い関わり、さらには現代社会への影響まで、「八咫烏」の真実に迫ります。さあ、歴史のベールに包まれた秘密結社の謎を、一緒に解き明かしていきましょう!
日本最古の秘密結社、八咫烏とは?
神話とサッカーエンブレムに見る八咫烏
さて、八咫烏と聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか?多くの方は、日本サッカー協会のエンブレムに描かれている、あの「三本足のカラス」を想像するのではないでしょうか。あの独特なデザインは、一度見たら忘れられないインパクトがありますよね。
八咫烏は、日本神話において、初代天皇である神武天皇が、熊野から大和へ向かう際に道案内をしたと伝えられる、導きの神として登場します。つまり、日本という国が形作られる、その黎明期から関わっていた重要な存在なのです。そして、日本サッカー協会のエンブレムに描かれているのは、この神話に基づいて、「日本サッカーを勝利へ導くように」という願いが込められているのですよ。
都市伝説と囁かれる裏天皇
裏天皇って、あの都市伝説でよく聞く言葉ですよね?八咫烏とどんな関係があるんですか?


鋭いね!八咫烏は、裏で天皇を支える存在、つまり『裏天皇』とも囁かれてきたんだ。表の歴史には出てこない、まさに影の存在として、日本を支えてきたと言われているんだよ。
しかし、八咫烏は単なる神話上の存在、あるいはサッカーのシンボルというだけではありません。実は、「秘密結社」という、なんともミステリアスな側面を持っているのです。都市伝説界隈では、八咫烏は「裏天皇」とも呼ばれ、表の歴史には登場しないものの、裏で天皇家を支え、日本という国を守ってきた秘密結社だと囁かれているのです。
この「裏天皇」という言葉、皆さんも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?歴史の教科書には載っていない、しかし確かに存在したとされる、影の権力者…。なんとも想像力を掻き立てられる存在ですよね。八咫烏は、この「裏天皇」と深く関わっていると言われているのです。
秘密結社八咫烏の正体:陰陽道と呪術者集団
陰陽道が握る八咫烏の正体のヒント
では、秘密結社としての八咫烏とは、一体どのような組織だったのでしょうか?実は、八咫烏の正式名称は「ヤタガラス陰陽道」と言われており、その名の通り、「陰陽道」と深い関わりがあります。陰陽道とは、古代中国から伝わった、天文、暦、占い、風水など、森羅万象を読み解くための技術・学問です。
秘密結社ヤタガラスは、この陰陽道の奥義を極めた、いわば呪術者集団であったと考えられています。
天文、風水、学問、科学技術に精通したエキスパート集団
八咫烏の構成員は、陰陽道を用いて、天体の動きを読み解き、吉凶を占い、さらには風水によって土地の良し悪しを判断するなど、現代では考えられないような、高度な知識と技術を有していました。彼らは、単なる占い師ではなく、天文、風水、医学、薬学など、あらゆる学問に通じた、いわば当時の科学者であり、エリート集団であったのです。
彼らは、その知識と技術を駆使して、国家の重要な政策決定にも関与していたと言われています。例えば、遷都の場所や時期、重要な祭祀の日取りなど、国家の命運を左右するような場面で、八咫烏の力が頼りにされていたのです。
さらに彼らは、卓越した知識や力によって、呪術的な儀式も行っていたとされています。陰陽師は式神を操る存在としても有名です。まさに秘密結社八咫烏は、裏から日本を支えていた原動力だったのです。
八咫烏の祖:賀茂氏と秦氏の系譜
賀茂氏の祖神と神武天皇の繋がり
八咫烏の祖先って、カモっていうんですか?神武天皇を導いたアスカタカヒコと同一人物なんですか?


そう、八咫烏の祖とされるのは賀茂氏で、その祖神がアスカタカヒコなんだ。そして、このアスカタカヒコが神武天皇を導いたヤタガラスと同一視されているんだよ。つまり、賀茂氏は日本の建国に深く関わった一族と言えるね。
では、この八咫烏の祖先は、一体どのような人々だったのでしょうか?その鍵を握るのが、「カモ」と「アスカタカヒコ」という存在です。
八咫烏の祖は、奈良時代に「カモ」と呼ばれた、賀茂氏という一族であるとされています。そして、この賀茂氏の祖神が「アスカタカヒコ」なのです。さらに、このアスカタカヒコは、日本神話において神武天皇を大和の地へ導いたとされる、あの「八咫烏」と同一視されているのです。
つまり、八咫烏の祖である賀茂氏は、日本の建国神話に深く関わる、非常に重要な一族だったと言えるのです。
製鉄技術に優れた物部氏との関係
さらに、神武天皇が大和の地を治める際に、その地を譲ったとされるのが「ニギハヤヒ」という神です。このニギハヤヒは、古代の有力氏族である「物部氏」の祖神とされています。
物部氏といえば、古代日本において軍事や祭祀を司り、特に製鉄技術に優れていたことで知られています。鉄は、武器や農具を作る上で欠かせない、非常に重要な資源です。物部氏の持つ高度な製鉄技術は、当時の国家運営において、必要不可欠なものだったと言えるでしょう。
八咫烏は、この物部氏の持つ技術力も、組織の運営に活用していたと考えられています。
大陸の知識を持つ秦氏の影響
さらに、八咫烏の活動を語る上で欠かせないのが、「秦氏」の存在です。秦氏は、大陸から渡来した、高度な技術や知識を持つ氏族として知られています。彼らは、土木、建築、養蚕など、様々な分野で優れた技術を持ち、当時の日本に大きな影響を与えました。
八咫烏は、この秦氏のような渡来人系の氏族とも繋がりを持ち、大陸の最新知識や技術を積極的に取り入れていたと考えられています。つまり、八咫烏は、国内の有力氏族だけでなく、海外の知識や技術も取り入れた、非常に先進的で国際色豊かな組織だったと言えるのです。
八咫烏は、賀茂氏、物部氏、秦氏といった、様々な分野で優れた能力を持つ氏族の力を結集し、その知識と技術を国家運営に活用していたのです。まさに、古代日本における「ドリームチーム」のような存在だったのかもしれませんね。
山と八咫烏:古代日本人の自然信仰
山岳修行と修験道
さて、八咫烏と深い関わりを持つものとして、「山」の存在が挙げられます。皆さんは、「修験道」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?修験道とは、日本古来の山岳信仰に基づいて、山中で厳しい修行を行うことで、悟りを得ようとする宗教です。
八咫烏の構成員も、この修験道と深い関わりがあり、山での修行を通じて、特別な力を得ていたと考えられています。
自然崇拝と霊山の存在
古代の日本人は、山を単なる地形としてではなく、神々が住む神聖な場所、あるいは山そのものを神として崇拝していました。このような自然崇拝の考え方は、日本人の精神性に深く根付いており、現代でも各地に霊山と呼ばれる山々が存在しています。
八咫烏は、こうした霊山で修行を行い、自然の力を身につけていたと考えられています。
天狗や鬼:山で得られる力
山での厳しい修行は、人々にどのような力をもたらしたのでしょうか?
実は、昔話や伝承に登場する「天狗」や「鬼」は、山で修行した人々が、特殊な能力を持っているように見えたことから生まれた、という説があります。天狗は、赤い顔に高い鼻、空を自由に飛び回るなど、超人的な力を持つ存在として描かれます。また、鬼は、強大な力と恐ろしい外見を持つ存在として語り継がれています。
これらの天狗や鬼の伝説は、山での修行が、人間に人知を超えた力をもたらす可能性があると、昔の人々が信じていたことを示しているのかもしれません。つまり、山は特別な力を得るための場所であり、八咫烏はその力を最大限に活用していたと考えられるのです。
金属と山:古代の技術と秘密結社
鉱石採掘と山の重要性
さて、八咫烏と山の関係を語る上で、もう一つ重要な要素が「金属」です。現代では、金属は工場で大量生産されるのが当たり前ですが、古代においては、金属は山から採掘される鉱石を精錬して作られていました。
つまり、金属を手に入れるためには、山に入る必要があったのです。そして、金属は武器や農具を作るために欠かせない、非常に重要な資源でした。八咫烏は、この金属の採掘や加工技術にも精通していたと考えられています。
自然エネルギーと高次元空間としての山
さらに、山は単に鉱石が採れる場所というだけでなく、自然のエネルギーが満ち溢れた、高次元の空間としても捉えられていました。現代でも、山はパワースポットとして人気がありますよね。
八咫烏は、この山の持つ自然エネルギーを、様々な儀式や呪術に利用していたと考えられています。彼らにとって山は、単なる修行の場ではなく、神聖な力を得るための、特別な場所だったのです。
彼らは人里離れた場所で生活することで、表社会から隔絶されるだけでなく、強いエネルギーを保持し、またそれを力の源泉としていたのでしょう。
八咫烏の役割:天皇家と国家の守護者
天皇の日常を支える祭祀集団
では、八咫烏は具体的にどのような役割を担っていたのでしょうか?
実は、彼らは天皇家の身近な存在として、食事や掃除、衣服の管理など、天皇の日常生活 전반を支えていたと言われています。つまり、八咫烏は、天皇家にとって最も身近な存在であり、最も信頼できる側近集団だったのです。
有事の際の天皇の避難経路と吉野
さらに、八咫烏は天皇家に万が一の事態が起こった際、天皇を安全な場所に避難させる役割も担っていました。その避難場所として、特に重要視されていたのが、奈良県の「吉野」です。
吉野は、八咫烏の祖である賀茂氏にゆかりのある土地であり、彼らにとって重要な拠点でした。天皇に危機が迫った際には、あらかじめ決められた極秘のルートを通って、吉野に避難することになっていたのです。そして、この避難ルート上にある神社や寺院は、八咫烏の構成員やその血縁者で固められていたと言います。
カバラと近畿地方の巨大結界
八咫烏の役割として、もう一つ注目すべき点が、ユダヤ教の神秘思想「カバラ」との関連です。カバラとは、ユダヤ教に伝わる神秘主義思想で、独自の宇宙観や世界観を持っています。
実は、八咫烏はこのカバラを用いて、近畿地方に巨大な結界を張っていたと言われているのです。五芒星や六芒星といった、カバラのシンボルを用いた結界は、天皇と国家を守るための、強力な魔除けのような役割を果たしていたと考えられています。
これは、八咫烏が単に日本の伝統的な知識や技術だけでなく、海外の思想や技術も積極的に取り入れていたことを示しています。彼らは、世界中の様々な知識や技術を、自分たちの目的に合わせて活用していた、非常に柔軟で先進的な組織だったのです。
近代における八咫烏:衰退と存続
明治政府による弾圧と衰退の危機
さて、長い歴史の中で、天皇家と国家を守り続けてきた八咫烏ですが、明治時代になると、その勢力は大きく衰退していくことになります。
明治政府は、近代化政策の一環として、陰陽道や修験道といった、古い慣習や信仰を排除しようとしました。その結果、八咫烏も、新政府から直接的、間接的な弾圧を受けることになり、組織は急速に弱体化していったのです。
隠名村の形成と勢力拡大の試み
しかし、八咫烏は完全に消滅したわけではありませんでした。彼らは、岡山県総社市や高知県香美市などに、「上原」や「伊龍」と呼ばれる隠れ里のような村を作り、ひっそりと生き延びていたと言われています。
また、表舞台からは姿を消したものの、頭山満や内田良平といった、政治の世界に強い影響力を持つ人物を背後から操り、勢力拡大を図っていたという説もあります。
つまり、八咫烏は、明治政府の弾圧を受けながらも、形を変えて存続し、日本の歴史の裏側で、何らかの役割を果たし続けていた可能性があるのです。
安岡正篤:昭和の黒幕と八咫烏の繋がり
易学と陰陽道の思想的共通点
近代日本において、八咫烏との繋がりが噂される人物の一人が、「安岡正篤」です。安岡正篤は、昭和期に政財界に強い影響力を持ち、「昭和の黒幕」とも呼ばれた人物です。
彼は、日本の易学者であり、哲学者であり、思想家であり、彼自身が八咫烏のメンバーであったかどうかは定かではありません。しかし、彼は「易学」に精通していました。易学とは、古代中国から伝わった、陰陽五行説をベースにした占いの一種です。そして、この易学の根底にある思想は、八咫烏が重んじてきた陰陽道とも深く通じるものがあるのです。
金鶏学院とGHQによる解体
安岡正篤は、「金鶏学院」という私塾を設立し、東洋の思想、特に易学に基づいた、独自の教育を行っていました。この「金鶏」という名前は、日本神話に登場する金色の鶏であり、八咫烏と同一視されることもあります。
彼はこの金鶏学院で、多くの若者たちに、東洋の思想を説き、その後の日本を支える人材を育成しようとしていました。しかし、戦後、GHQによって、金鶏学院は解体されてしまいます。GHQは、金鶏学院の思想が、日本の国家主義に繋がることを恐れたのかもしれません。
現代に受け継がれる八咫烏の思想
安岡正篤自身が八咫烏のメンバーだったかどうかは、はっきりとした証拠はありません。しかし、彼の思想や行動は、八咫烏が守り続けてきた、日本の伝統的な精神性と深く繋がっていると言えるでしょう。
彼は、西洋化が進む日本において、東洋の思想、特に易学の重要性を説き続けました。そして、彼の教えは、多くの人々に影響を与え、現代にも受け継がれているのです。
八咫烏からのメッセージ:現代社会への示唆
古術や古史古伝の情報公開の真意
近年、YouTubeなどの動画サイトで、これまで門外不出とされてきた、古武術や古神道の情報が、次々と公開されています。これは、一体何を意味するのでしょうか?
これは、八咫烏、あるいは八咫烏の思想を受け継ぐ人々が、現代社会に対して何らかのメッセージを発信している、と考えることもできます。彼らは、現代の日本人が忘れかけている、本来の精神性を取り戻してほしいと願っているのかもしれません。
東洋文化への回帰と日本の転換期
現代社会は、物質的な豊かさを追求する一方で、精神的な豊かさが見失われつつあると言われています。そんな中、近年、東洋文化への関心が、世界的に高まっています。
八咫烏は、私たち日本人に、東洋の思想や文化に改めて目を向け、日本人としてのアイデンティティを再確認するよう、促しているのかもしれません。彼らは、私たちが進むべき道を、そっと示してくれているのかもしれませんね。
まとめ:秘密結社八咫烏の正体と現代社会への影響
さて、皆さん、今日は秘密結社八咫烏について、様々な角度からお話してきましたが、いかがでしたでしょうか?
八咫烏は、単なる都市伝説ではなく、日本の歴史と深く関わり、国家の運営にも大きな影響を与えてきた、実在の組織でした。彼らは、陰陽道、山岳信仰、易学といった、古代日本人の思想と技術を結集し、天皇家と国家を守るという、重要な役割を担っていました。
そして、その思想は、安岡正篤といった人物を通じて、現代にも受け継がれています。近年、これまで秘匿されてきた情報が公開され始めているのは、八咫烏、あるいはその思想を受け継ぐ人々からの、現代社会に対するメッセージなのかもしれません。
彼らは、私たち日本人に、東洋の思想や文化に目を向け、日本人としてのアイデンティティを再確認するよう、促しているのではないでしょうか。八咫烏からのメッセージを、私たちはしっかりと受け止める必要があるのです。
八咫烏陰陽道は、天皇家と国家を守るエキスパート集団であり、陰陽道、山岳信仰、易学といった、古代日本人の思想と技術の結晶です。そして、現代社会へのメッセージとして、東洋文化への回帰と日本の転換期を、示唆しているのかもしれません。
八咫烏の存在は、日本の歴史の奥深さと、伝統文化の重要性を、改めて私たちに教えてくれています。彼らの存在を、単なる過去の遺物としてではなく、現代社会を生きる上での指針として、捉え直してみるのも良いかもしれませんね。
以上、秘密結社八咫烏の正体と、現代社会への影響についてお話しました。皆さんの知的好奇心を、少しでも満たすことができたなら幸いです。